「オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」
ソチ・オリンピック期間中です。目標として「金メダル5個、そして総(メダル)数10個を最大の目標」と掲げていますが、現時点では雲行きが怪しいです。
昔はよく「オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」と言っていましたが、最近は聞かない気がします。勝つことに意義があるのか、参加することに意義があるのか考えてみます。
「オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」の命題
あまり書き換える必要がなさそうですが、一応書き換えます。
- オリンピックの試合であれば、勝敗はともかく参加するべきである
- オリンピックの試合であれば、負けてもいいから参加するべきである
というところでしょうか。
メダルの数を目標に掲げるよりは、より多くの競技に選手を送り込むべきだ。というニュアンスに近いですね。
「オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」の対偶
- 「負けてもいいから参加するべき」でなければ、オリンピックの試合ではない
- 「負けるくらいなら参加しないべき」であれば、オリンピックの試合ではない
- 「勝てる試合だけ参加するべき」であれば、オリンピックの試合ではない
優勝以外価値なし、努力は評価されない。そんなのオリンピックと呼べない。という解釈で良さそうです。
「オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」の考察
勝てる試合だけ参加するというのは、捕虜となって恥を晒すなら死を選べという戦時中の思想に通じるような気がします。勝ちから学ぶこともあれば、負けから学ぶこともあります。選手も、負けてもいいやと思っている人はいないでしょうし、参加できる時点で積み重ねている勝ちがいくつもあるわけで、やはりオリンピックで勝つことよりもオリンピックに参加すること・参加できることの意義の方が大きいと思います。
ただし、オリンピック(に限らず、国の代表として試合に望むもの全て)では、国費が使われており、国家間で莫大な費用をかけて勝負しているという意味では「戦争」とも言えます。
「戦争は、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」という命題であれば、即座に否定します。
「オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」の結論
オリンピックをどう捉えるかで結論が真逆になりますが、戦争と捉えるのは唐突な印象は否めないので、「参加することにこそ意義がある」という結論とします。
ということで、「オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」は「真」です。
飛躍しますが「スポーツ・ゲーム・試合全般は、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」も「真」です。
以上