「神は存在する」
日本では無神論者が多いのに神頼みは結構する、という理不尽が以前から気にかかっていたので、初詣でも神無月(神有月)でもない季節ですが神の存在について考えてみます。
「神は存在する」の命題
シンプルに
- 神は存在する
です。
「神は存在する」の対偶
こちらもシンプルに
- 存在しないなら神ではない
です。
「神は存在する」の考察
存在するってどういうことでしょう。見えるものは存在しています。聞こえるものは存在しています。触れることができるものは存在しています。
神は見えません、聞こえません、触れることもできません。だから、神は存在しません。
以上、終わり
という考察は、逆を乱用しているので破綻しています。存在→見えるという一事例を「真」として、対偶となる見えない→存在しないを持ち出していますが、存在しても見えないというものはいくらでもあるので、持ち出してきた命題と対偶は正しくありません。
存在するということについて、事例を積み重ねる(見える、聞こえる、触れるなど)のではなく普遍的に正しい命題を持ってこないと、同様に破綻した考察を繰り返すだけになります。
それでは、存在するということはどういうことなのでしょうか。
空気は存在していますが実感できません。科学的に存在を証明されているだけです。
幻覚は症状としては認識されますが、幻覚に表れる物事は本人しか認識できません。この場合、幻覚症状は存在していますが、幻覚の中の物事は存在しているのでしょうか。
1+1=2という概念は多くの人に認識されていますが、1や2という数は存在していると言えるでしょうか。
以上のようなことを総合すると、存在するということは、一定数の人に認識されるという理解で良さそうです。
「神は存在する」の結論
一人にしか認識されない神は、きっと存在していません。(もしくは、存在するならば神ではありません)
八百万の神やメジャーな宗教の神は、きっと存在しています。
神は存在するは「真」です。
以上