「生活保護なのにワガママ言うな」の対偶

「生活保護なのにワガママ言うな‏」

生活保護なのにワガママ言うなとか、贅沢するなとか、そもそも家族が養えなど、いろんな意見があります。生活保護なのにポルシェ乗ってるとかの不正受給レベルの話はそれだけで1つのテーマになりうるので、今回は触れないことにして、税金を払わず・もらって生きている人にどこまでの権利が感情的に・法律的に認められるか考えてみます。

「生活保護なのにワガママ言うな‏‏」の命題

意味としては、自分で稼いだわけじゃないのに自分のお金のように好き勝手に使うのは許せない、ということかと思います。当然、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利は認められるべきですが、最低限度の指すものが曖昧なので、生活保護を受けずに同じくらいの収入で生活をしている人と同じくらいの暮らしとします。すると、命題は

  • 税金で暮らしている人は、極力切り詰めた生活をしなければならない

となります。

具体例としては、医者にかかっても税金から出ますから、熱中症予防にエアコン使うのはいいけど、水分補給と言ってジュースばかり飲むのは贅沢だし肥満や糖尿病になって医者にかかったら意味ないので許されない、ということが考えられます。

また、税金で暮らしているという意味では生活保護だけでなく刑務所生活も対象になりますし、ローン減税や児童手当のような給付額が大きい人も対象になる場合もあると思います。

実際、私も所得税はローン減税のおかげで全額返ってきてるうえに児童手当が給付され、住民税も自治体からの私立幼稚園手当で相殺されますので、払うよりももらう方が多いです。それでも、相当数いるであろう私のような人が非難されないのは生活費の大半を自分の稼ぎで賄っているからかと思いますので、やはり税金で生活しているというポイントが重要だと思います。

「生活保護なのにワガママ言うな」の対偶

  • 切り詰めた生活をしなくていいのは、税金に頼らず生活している人

となります。
ただし、現在の生活が税金に頼っていなくても、金融資産を形成せずに散財して老後が暮らせないことが想定される場合などは、将来に生活保護を受給する可能性があり、そのレベルの散財・ワガママは許されないと考えられます。一方で、国からの指針としてどれくらいあれば大丈夫そうというものがなく、散財してもお咎めなしという現状も改善の余地はありそうです。

「生活保護なのにワガママ言うな」の考察

自分が困らないくらい資産があれば、生活保護なのに…とか思わないはずなので、自分が贅沢を我慢しているのにその我慢の原因となっている税金で生活している人が我慢していないということが、感謝的に許しがたいのは否めません。

法律的にも、恒常的な贅沢は認めていないでしょう。ただし、人の記憶は気にならないものは忘れて、気になるものは覚えているという偏りがあるため、許せないと憤る前に散財が証明される客観的な記録をとってみると良いと思います。

また、受給者の義務として安く済ませる代替手段がある場合に必ずそちらを選ぶ(例:ジェネリック医薬品を選ぶ、タクシーではなく電車やバスを選ぶ)義務付けも推進していくべきとも思いますし、極端に言えば被災者の仮設住宅のように受給者を一ヶ所に集めることで、住居費や事務手続きを抑えたり、お互いに監視することで不正受給を抑えることができるかもしれません。

「生活保護なのにワガママ言うな」の結論

一部の目立った悪いケースのため全体的に非難されがちな受給者ですが、必要な人に必要な額が行き渡る分には不満はないでしょうし、自分が受給する立場になっても安心だと思います。
税金で暮らせていること、税金を払えること、自分より多額の税金を払っている人、誰もがその全てに感謝できれば、こんなテーマは問題になりません。

ということで「生活保護なのにワガママ言うな」は「偽」です。

以上

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